05.少年の謎

 さがしものを手伝う代わりに、話し相手になる。そんな約束を初対面の相手とした。
 ――ミタカ。それが彼の名だけれど、どこかふしぎな響きだ。実際、なにかと謎なの多い人間だと思う。そもそもこんな場所に住んでいることからしておかしい。食べ物やお風呂や着替えはどうしているっていうのだろう。たずねても答えははぐらかすようなものばっかりだ。
 食べ物? アンダーソン氏がどこからかくすねてくるのをもらっているよ。
 お風呂? プラネタリュウムの奥にあるんだよ。
 着替え? こまめに洗濯しているんだよ。ああ、そう。それも奥にある。
 百歩。百歩ゆずって、犬の残飯もらって生きていることとかがほんとうなのだとしよう。じゃあどうして、そんな不便な場所で暮らす必要があるのか。わたしにはわからない。正直、うさんくさいと思う。それでもわたしは、プラネタリュウムに通いつづけていた。惰性だ、ほとんど。
 その日、朝一でプラネタリュウムを訪れると、黒髪の少年のすがたはなかった。しばらく待っても現われないから、さびれたプラネタリュウムをひととおり見てまわることにする。まるいドーム状の天井の下に、行儀よくならんだ客席。客席の椅子は埃だらけで、あちこちスプリングや綿が飛び出ていた。天井はよく見えないけれど、それもきっと傷だらけだ。円のほぼまんなかに、投影機。球と円筒がくっついたそれは、異形の怪物じみた影を床に投げかけていた。そのほかにも見慣れない機械がたくさんあるのはものめずらしい。ただ、どれも壊れていて使えないみたいだ。計器盤の裏手に扉があったけれど、開かない。奥っていうのはこの向こうだろうか。仮に浴場やらなにやらがあるのだとして、水が通っているとはとても思えない。
 そう大きくもないプラネタリュウムだ。一周するのにそれほど時間はかからず、ひまになる。そこに、アンダーソン氏が通りかかった。氏はたぐいまれなる柔毛を持っている。触り心地がいいことはもう知っていたから、つかまえてぐりぐりと全身をなでまわした。ついでにお手を命じてみると、アンダーソン氏はかしこく従順ですなおに応じてくれた。
「おりこう」
 満足したわたしは、首を指でくすぐってほめた。
 それが引きがねだったみたいだ。
 アンダーソン氏から声がした。
『……年、七月十三日、ア……にて、……ファ……リを確認、せ……』
「……え?」
 聞き慣れない固有名詞らしきものが多く、大半はなにを言っているのかよくわからなかったものの、その声はたしかに目の前の犬からしている。おりこう、だなんて言ったから、アンダーソン氏が人間並みの知性を見せつけはじめたとでもいうのだろうか。
『……年、七月十八日の……は、ル……』
 あわてるわたしを前に、毛むくじゃらの顔で、アンダーソン氏はお座りの姿勢のままこちらを見ている。どうしたものかと考えかけたとき、ふと気づく。
 この声。聞き覚えがある。
 答えを出すのはそうむつかしくなかった。ミタカの声だ。つねならず淡々としゃべっているものだから、すぐには気がつかなかった。
 よくよく見ると、アンダーソン氏は首輪をしている。首もとの毛に埋まっていたそれをさぐりだすと、ちいさな機械がついていた。どういった機械かはよくわからないけれど、スピーカーと思しきものが見える。なんのことはない、声はそこから聞こえているのだった。かちり、という音がわたしの指の下でする。電源が切れたのか、声は聞こえなくなった。
「見ーたーなー」
 ふいに肩ごしに声がひびいて、体がびくりと震えた。振りあおぐと、おどけた様子のミタカが立っている。おばけよろしく、両手をだらりと垂れ下げて。わたしの顔を見ると、ミタカはさも愉快だというように笑いだす。
「ははは、璃子、びっくりした顔してる」
 わたしは跳ねる心臓をなだめ、つとめて渋い表情を作った。それなのになにがおもしろいのか、むしろミタカは笑声を大きくする。わたしは憮然としてたずねた。
「……これ、なに」
「ん? ぼくの記憶だよ」
 笑い声をひっこめ、ミタカはさらりと言ってのける。
「記録として残しておこうと思って。アンダーソン氏に協力してもらっているんだ」
「……アンダーソン氏は必要なの、これ」
 この妙な機械さえあればいいような。けれどわたしの思いに反して、ミタカは大げさに手を広げる。
「必要も必要さ。この装置はおまけみたいなものだよ。ぼくがほんとうに覚えていてほしい相手は、アンダーソン氏だ。機械じゃなくてね」
 それなら機械のほうはどうして必要なのか。彼の考えることは、わたしにはいまひとつわからない。問いつめるのもめんどうで黙っていると、ミタカはアンダーソン氏に近づいた。かと思うと、一息に抱き上げる。
「ぼくたち、親友だもんな?」
 言ってミタカは灰色の毛にほほをすり寄せる。アンダーソン氏はしばらくされるがままになっていたものの、やがて抗議するようにひと声鳴いた。手からのがれようとする氏に、ミタカは不満げな顔をする。
「なんだよ、璃子にはお手までしたくせに。やっぱりおまえも、男ってことか」
 もがくアンダーソン氏と、離すまいとするミタカ。攻防は、ほうっておけばいつまでもつづきそうだった。わたしは立ち上がって、咳払いをひとつする。それでミタカはあっさりと我に返ってアンダーソン氏を解放した。腕のなかから軽やかに、灰色の毛玉がころげる。ごめんごめん、とミタカは苦笑しながら謝って、それからふっと笑みをどこかに隠した。
「でね、璃子。きみの犬のこと、話してくれないかな。これからさがすんだし、聞いておかないとはじまらないだろ」

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2014.03.01
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