26.カーテンコール

『ぼくが幻影だというのは、前も話したね。でも幻影って、よりどころがいるだろう? そもそもひとが考えないことは、幻影にさえならないんだから』
 そのとおりだ。うわさや妄想、なんでもいいけれど、幻影にははじまりになったひとの幻想がある。たとえばゆうれい犬であるシャウラを生み出した、慧斗さんの思いのように。
 そういえば知らない。わたしはミタカがなぜ人間になりたかったのか知っているけれど、どうやって人間になったのかは聞いていなかった。
 耳をそばだてていると、思いもかけない答えが降った。
『ぼくのよりどころは、きみの詩だよ』
 声が出なかった。
『詩の内容を踏まえて、ぼくはこのひと夏のあいだだけしかここにいられなかった。かつ、書き手のなかのプラネタリュウムがあるこの町にしかいられなかった』
 どうして、言ってくれなかったのだろう。なぜこの詩のことを知っているのかミタカを問い詰めたとき、彼はたんに「星だから」と答えた。こんなに立派な理由があったのに、どうして。
 ……理由なんて知れている。わたしが知ることを厭うていたからだ。犬の言いたいことすら解する聡さを、ミタカは持っている。だとしたらわたしの子どもっぽい考えなんて、朝飯前だったろう。
『……ほんとはさ、こんな話いまも、言うつもりなかったんだ。どうでもいいだろ? うーん、でも、最後だし。話すだけ話させて。聞かなくていいからさ』
 ミタカの物言いに、胸のうちがひりつく。こんなに知りたい、まだ足りないと思っているのにどうしていまここにこのひとはいないんだ。どうしてわたしは、夏に恋したオリオン座、だの、プラネタリュウム、だの書いてしまったのだろう。ほぞを噛む。
 そんなわたしをよそに、ミタカはぽつぽつと語る。
『こんな体なのに熱を出したのにも、理由があって。光源が見つからないってさんざん言ったろう。あれをね、元星としてどうにかできないかと……結果的に人間と星のバランス崩して、熱が出たみたいだ。おかげで光源はなんとかなって、ごらんの通りの星空なわけだけど。約束は守ったよ、なあ、璃子。アンダーソン氏』
 つられて星空を眺める。ということは、これはミタカの生み出した星なわけだ。にせもののようで、にせものでない星たち。
 ……人間であることにこだわっていたミタカにとって、こうすることに複雑な思いって、なかったのだろうか。約束を守るためだったんだとしたら、と考えてくちびるを噛む。
『でもあのときは、迷惑かけてごめん』
 ああ。
 そんなふうに言うと、まるで今生の別れみたいだ。
 沈黙が流れる。さああ、というノイズの音で、空間が満たされていく。
 ミタカは言った。
『璃子、星めぐりをしよう』
 そのことばとともに、満天の星空がまわりだす。じゃあまずは、星空をぐるっと見回してみて――そんなことばとともに、星の話が語られる。
 わたしはまだだ、と思っていた。まだ、まだ、聞きたいことは山ほどあった。ミタカの言いたいこと、たったこれだけなんだろうか? もどかしかったけれど、やがて、わたしは彼の語る星の話に引き込まれていった。
 ミタカはのびのびと、天体についてたくさんの話をした。あの星座は、水の湧き出るふしぎなひしゃく。うつくしい妖精はオーロラに嫁いだ。天の川は、渡り鳥たちのための橋。なかには、冗談めかしたうそみたいな話もたくさん。
 やがて東の地平線から、見覚えのある星座がのぼってくる。たぶんだれだって知っている、あまりにも有名なそのかたち。
 オリオン座は、夜空のいちばん目立つところで止まった。
『見えるかな。三つつらなったうちのいちばん右。あれが、ぼくだよ』
 言われて、それこそ夜空に穴が空くほど見つめた。おなじだ、と思う。三つ星のいちばん右は、ミタカの目とおなじに、青白く燃えていた。三万度の、色だ。ひとではありえない体温の色。
 ねえ、璃子、と呼ばれた。犬の首もとの、機械ごしに。
『きみは迷惑だって言うかもしれない。出会ったことに意味なんてないって、言われてしまったしね。でも、お願いがある。最後だと思って、よかったら聞いてやってくれ』
 そしてミタカは、最後のお願い≠口にした。
『ぼくはずっと星だった。こうして人間になっても、ぜんぜん人間とはちがうしちょっと卑屈になってた部分もある。でもこの夏、璃子に出会って、話をして、モモさんをさがして……ちゃんと人間として生きられたって思う。だから、わがままをひとついいかな』
 必死に乞うでもなく、ただただ、うっすら笑みをこぼしながら。
『すこしでいいんだ。ぼくを、覚えていて』
 そしてなんの未練もなしに音声は立ち消えて、後に残ったのはミタカの修理した星空だけ。あっけないものだった。
 もの言わぬ星空のもと、わたしのなかにせり上がるものがある。
 ――わたしが覚えている、だなんて……言えないからね。
 ――出会ったことに、意味なんてない。
 どうしてもう、言い直すことができないのだろう。あたらしく、なにかを伝えることもできないのだろう。伝えたいことは山ほどあるのに!
 限界水位を越して、ことばが口からこぼれた。
「出会ったことに意味は、あったよ」
 いずれ終末を迎える世のなかで、どうせすべては失われるって、ひねくれていることは楽だった。
 だけど、ちっともかっこよくは、なかった。
 わたしは衝動のままに、おもむろにかばんから手帳を取り出す。何度も開くうちにすっかりくせがついてしまった一ページを開き、文面に目をおとす。

夏に恋したオリオン座
プラネタリュウムに逃げこんだ
熱が冷めたら夢は醒め
真昼の星は見えなくなった

 最後の二行は、わたしの字とはまったくちがう筆跡をしている。おせじにもきれいとは言えない、奔放な字。視界がすこしぼやけた気がした。かぶりを振って、万年筆のふたを、口で噛んであける。
 そしてわたしは息をつめ、一息に書き上げる。多少の字形のゆがみには、目をつぶって。

それでも夏は終わらない
カーテンコールのその先へ

 ミタカ。きみの記憶は残る。存在はつづいていくよ。そしてわたしは、きみにもう一度会うことをあきらめない。会えたのなら言いたいことばがあるから。
 往生際のわるいわたしの手のなかで、世界は創り変わる。夏はわたしがまだ終わらせないから、来たる明日は九月一日じゃない。
 八月三十二日が、やってくる。

『八月三十二日のオリオン座』完

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2014.04.05
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