05

好敵手

 明日から夏休みに入る、という日。どこか浮ついた空気が学校全体にただようなか、畑に出るとスイカはいよいよ収穫間近という大きさまでふくれていた。いちばん育ちのいいスイカを見つめていると、かたわらに影が差す。
「清」
「千波。見ろよこれ」
 麦原―千波だった。はじめていっしょに委員の仕事をした翌日、彼はぼくのと同じような麦わら帽子をかぶって現れた。今日もつば広のそれをかぶって、首にはタオルを巻いて立っている。すっかり園芸委員の出で立ちである。
 千波が横にかがんで、ぼくの手元にあるスイカを覗きこむ。ずいぶん大きくなったな、もうすぐ収穫じゃないか、なんて言う声は、ふだん冷静な千波にしては嬉しそうな色がにじんでいる。
 ぼくはささやいた。これ、もう少し大きくなったらさ。
「いちばんにふたりで食っちまおうぜ」
「いいのか?」
 通常、学内でとれた作物は、学食で生徒に振舞われるきまりだ。ばれやしないさ、とぼくは笑った。ここまで苦労して、ふたりで育てたのだ。一足先に味見したってばちは当たらないだろう。
 このスイカたちに対してそんな思いを抱く日が来ようとは、夢にも思わなかった。千波がこの畑に現れたあの日まで、こいつらはその身でもって嫌になるくらいぼくを責めたてていたのに。
「萩森先生はいいのか」
 考えに耽っていたら、思いもしない人物の名を出されて我に返る。
「え、萩森? 萩森は……。持って帰った日、家にいるかわからないから」
 あいまいに笑ってごまかす。千波はもの言いたげな顔でこちらを見ていたが、ぼくは気づかないふりをした。
「暑いな、今日」
「ああ、おれ、水筒取ってくるよ。また倒れられちゃかなわない」
 話を逸らすためのことばだったのに、千波はひょいと身軽に身を起こし、駆けていく。いちばんはじめに盛大にやらかしたからか、この点に関して千波は心配症だった。あいつが来るまでひとりで立派にお役目全うしてたんだけどな。実際以上に虚弱だと思われている気がする。
 ともあれ心配されて悪い気はしない。どこか面映い思いで足元の草をいじる。と、炎天に揺らぐ道の向こうから、まっすぐにこちらに向かってくる人影が目に入った。
 知らない顔だ。背が中学生離れして高く体つきががっしりとしていることが、遠目にもわかった。ということは先輩だろうか。なんの用だろう。
「おーい」
 と、陽気に声がかかった。ぼくですか、と問うとうなずきが返る。
「麦原、いる?」
 背の高い少年は畑に踏み入り、ぼくの前に立つ。よく焼けた肌をしていた。毛足の長い髪は色素が薄く、光をはらんでほとんど茶色に見えた。
 ぼくが問いに答えるより早く、水筒をもって千波が帰ってくる。背の高い彼も気がついて、よう、と気軽に片手を上げた。
「菰田(こもた)。おまえ、水泳部の練習は」
 ということは、彼は千波の部活仲間か。話す口ぶりからして同級生らしい。びっくりだ。こんな中学二年生がいるものだろうか、ひょっとしたら外国の血が混じっていたりするのかもしれない。じい、と菰田の顔に見入る。……どうだろう。心なしか、平均より鼻が高い……彫りも深いような?
 呑気に目を眇めて観察しているあいだに、ふたりは話を続けていた。
「なあ麦原、いつ戻ってくるんだよ」
 菰田の声が耳に入る。千波の柳眉がぴくりと動いた。
「おまえがいないと張り合いなくてさあ。来週の記録会、ほんとに出ないんだ?」
 菰田はへらへらと笑っていたが、ぼくにはわかった。ふたりのあいだにたちこめる空気が、わずかに張り詰めるのが。千波は平素の静かな表情を動かさなかったように見えたけれど、その実まつげが落とす影が濃い。
「出ない。ケリがつくまでは戻れない」
 絞り出した声にふうん、と菰田は返した。そこで満足したらしい。帰るわ、と言って踵を返す。
 けれど彼は畑を出ようというところで立ち止まった。くるりと振り返り、高らかに言う。
「おれ。このあいだ自己ベスト更新した」
 その顔には挑発的な獣の笑みが浮かんでいた。闘争心を煽るやりかたを、彼は十二分にわかっているのだった。
 今度こそ菰田は去っていく。千波は顔色を変えなかったが、代わりにぎゅうと手を握り締めていた。爪が食い込み痕になるだろうというくらい、強く。
 一度承諾したことだから最後まで責任をとりたい。それが彼の意志だった。だけど同時に、練習できなくていいのかと聞くぼくに、こうも言ったのだ。
 よくない、と。
 ぼくに彼の気持ちはわからない。好敵手を前に足止めを食うもどかしさはいかばかりだろう。
 つとめて明るい声で、沈黙を破った。
「千波。これ終わったらさ」
 ぼくにできることと言ったら、気晴らしにファミレスに誘うくらいのものだった。
 千波は誘いに乗り、ぼくたちは委員会の仕事の後の時間をともに過ごした。他愛のない話を、した。麦原千波の好きな食べ物はポテトサラダに湯豆腐、あと鶏肉。さすがに初恋の話までは聞けなかったけれど、少し前までの自分を鑑みれば夢のようだった。
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