おもむろにミタカは右手をかかげた。立てた人さし指が、宙をなぞる。星の失われたにせものの空に、星座をえがくように。ミタカは言った。
「星は、下界を見下ろすひとつの命だ」
生きているんだ、空で光っているあの星たちは。そう言う。
「ぼくはずっと、人の身からすればそれはもう気の遠くなるような長いあいだ、この世界を見ていた。星は光の反射でものを見ない。もっと別な仕組みを持っている。だから、ひとよりたくさんのものを見るんだ」
「プライバシーってことば、知ってる」
「星相手にそんなもの説いたってしかたがないよ。見えてしまうんだから」
あっさりしたものだった。罪悪感とかないのだろうか。わたしがあの詩をミタカの口から聞いたときどんな思いがしたか。味わわせてやりたいくらいだ。
それにしたって、星が生き物で、それがゆうれいになった、と言われたってぴんとこない。犬とはわけがちがうだろうに。そう考えていると、ミタカは説明しだした。
「璃子は知っているかな。いま見ることができる星の光は、うんと昔のものだってこと」
うなずく。星は光の速さで駆けても何百年、何万年、下手をすれば何億年かかるほど遠いところにあるものだ。
「だから、いま見えている星がすでに死んでいたって、なんらふしぎはない。実体はもうないのに光だけはあるって、まるでゆうれいだろ」
「その光が……ミタカだっていうの」
「そう。もう死んでるんだよ、星のほうは」
ふいにミタカは、寂しそうに笑った。けれどそれは、自分がもう死んでいるということに対して笑ったのではなかった。ミタカは言った。
そんなだからどうあがいても人間ではないんだよね、と。
「アンダーソン氏がどっからか食べ物を持ってくるのはほんとう。でもそのおこぼれにあずかったことはない。この体、ふしぎとお腹空かないし、汚れない。便利ではあるけど、人間とはちがう。味気ないなって思うね」
そう言う彼の顔は、人間と少しも変わりないように思えた。わたしは彼の手に触れたことがある。皮膚の質感を、体温を、たしかに感じた。ゆうれい犬のようにすり抜けてしまうなんてことはなかった。死んだ魚と形容されるわたしの目よりよほど生きた目をしているのに、こんなにも人間らしいのに、人間とはちがう存在であるという。
食事は? 着替えは? 彼と出会ったときのあまたの疑問はひとつの答えに帰着していく。人間じゃないから。ゆうれいだから。
ミタカがうそをついているという気は、ふしぎとしなかった。こんな冗談を言ったところで、わたしから言いのがれができるくらいしか利益はないし、表情や口ぶりが、自分が人間ではないことが心底嘆かわしいと語っていた。それに。
この世界はもう、あちこちほころんでしまっている。
だからきっと、星のゆうれいくらい存在する。
……そう納得はしたけれど。わたしは、どうしてか心に雲がかかってゆくのを感じていた。わからないまま、ことばが唇の合わせ目を割る。
「どうして」
気づけばミタカをなじっていた。
「どうしていままで、言わなかったの、それ」
幾日ミタカと過ごしただろう。それまで彼は、わたしの疑問をのらりくらりと交わすばかりだった。言い逃れができなくなってやっと、やっと、話してくれた。
わたしは彼のことが知りたかったのだ。
ミタカにとってわたしはなんなのだろう。そして、わたしにとって、ミタカは。うつむき、伏せたまなうらに青白い星明かりが焼き付いている。自転車。差しだされた手。ほほに血がのぼっていく。
「璃子、きみ、もしかして……」
声がして、はっと我に返る。わたしはいま、なにを考えていた? 自覚するのが恐ろしくて、わたしは立ち上がった。
「帰る」
ミタカのとまどった顔を視界の外に押しやり、わたしは逃げるようにプラネタリュウムを後にした。
《小さな町》を出てバスに乗り込む。ごとごと音を立てるバスに揺られている最中、わたしの頭のなかにはしきりに警告する声が響いていた。
よくない兆候。よくない兆候。
知りたいと思うこと。彼にとっての立ち位置を気にすること。印象的ないくつかの場面を思い出すこと。すべて、よくない兆候。
そんなことばで自分自身をいましめつづけるうちに、バスは《大きな町》の市街に入りつつある。暮れなずむ空の下、町にはひとが溢れていた。道ばたに、声を荒らげる白装束の男。通学のとき何度も聞いたからすっかり覚えてしまった文言が、窓越し、ぱくぱくと動く口の動きに合わせて再生される。神を信じよ、さすれば終末の幻想は去る。ありふれてしまった新興宗教。道行くひとは見向きもしない。どぎつい色の広告は喧伝する――あなたの人生、宇宙に打ち上げてみませんか? つまりはゴールデンレコード、ボイジャー計画。この世界が終わってしまう前にせめて生きた証を残そうとあがく人々を利用した、金儲けだ。
そうだ、この世界は遠からず滅びてしまう。目を覆いたくなるような終わりが来る。だから。
もう知りたいだなんて思ってはいけない。残る疑問にも答えを出そうだなんて考えたりしない。すべてはどうでもいいことでなくてはならない。
だって知りたいと思うだなんてまるで恋しているみたいだ。けれど恋は虚しい。この、たがの外れた醜い世界では。
気がつけば、夏休暇は半分が終わっていた。モモさんは見つからない。