16.発熱

「ミタカ? どうしたの?」
 近づいてみると、ミタカの顔が紅潮していることが知れた。息も荒い。思わずひたいに手をやると、そこは燃えるように熱かった。ひどい熱にわたしは青ざめたけれど、どうしてかミタカの口もとはゆるい曲線を描いていた。
「……なんでちょっと嬉しそうなの」
「だってさ、四十度で高熱なんだろ、人間って」
 ミタカは笑う。星だったころの温度ね、三万度だって。本で読んだ。わたしはふと思いだす。モモさんに今際の際から救ってもらったことを話したとき、わたしは言った。「聞いておどろけ四十二度」――ミタカはちっとも驚かなくて、むしろぴんとこない顔をしていた。
 もとが三万度だ。四十二度なんて、低温も低温。だけどその低温がいまは彼の体を蝕んでいる。嬉しそうにしている場合か、立つのもやっとのくせに。わたしはミタカに肩を貸し、プラネタリュウムの中に入った。
 長椅子をくっつけてできた寝台に、彼の体を横たえる。呼吸は浅く、せわしなく胸が上下していた。
「ちょっとさ、根を詰めすぎたかもしれない。ここ数日、光源をなんとかするためにいろいろやってて。そこで細かい作業したから、いっきにこう、疲れが」
 人間じゃないのにね、ということばは、絶え絶えの息もあいまって自嘲ぎみに聞こえた。聞いていられず、黙って、と命じる。ミタカは言われるまま、口を閉ざし、まぶたも閉じた。
 どうしよう、と考える。星ゆうれいの出した熱なんて、どう鎮めればいいっていうのだろう。ミタカはものを食べる必要がないという。だとしたら薬は効くのだろうか。もっとも、この廃墟にいては薬なんて調達のしようがないけれど。
 わからないことだらけだ。でも、だからってほうってはおけない。わたしは意を決し、かたわらに座っていたアンダーソン氏を見た。
「ミタカを《大きな町》に連れていく。……アンダーソン氏は、留守番してて」

 いつかふたりと一匹で乗って歩いた自転車を利用することにする。うしろの座席にどうにかこうにかミタカを寝かせ、自転車をこぐ。日は没していても暑さはやわらいでおらず、夏の停滞した空気が体を苛む。息が上がり、夜道に汗がしたたった。足が悲鳴をあげたけれど、どうにかこうにか、前に進む。
 そのうちにやっと、町の入口が見えた。あともう少し。丘を降りてあぜ道をゆけば、バス停がある。いくぶんほっとした思いでペダルを踏みこむ――踏みこもうとした。足が止まり、がくんと自転車が停止する。止まろうと思って止まったのではなかった。ペダルが、動かない。足にどれだけ力をこめても、そこから先にペダルが回らなかった。
 サドルから降り、力をこめて車体を引く。それでも、自転車は動こうとしなかった。見えない針でそこに縫い止められたように。わたしは後部座席に歩み寄り、ミタカの体に手をかけた。自転車が動かないのならば背負っていくしかない、そう思ったからだ。
 けれどミタカの体はびくともしない。
 どうして、と言ってはみたけれど、その問いに答えが与えられることがないことは直感していた。自転車が止まったときの反動で、ミタカの体を引っぱる手の感触で、そこに働いているのが侵しがたい力であるとわかってしまった。
 自転車は、ちょうど町の門の残骸のすぐ手前で止まっていた。
 理解する。――ミタカはこの町から出られない。
 星ゆうれいだから? 理由なんてそれしか考えられないけれど、いったいどうして。事態の理不尽さに思考は渦を描き、やがてひとところに収斂した。
「……どうすればいいの」
 途方にくれた、そのときだった。
「どうかしましたか」
 声とともに、うつむいたわたしの視界の外に、影が立つ。明るい色の影だった。びくりと肩を震わせ、顔を上げる。そこに立っていたのはひとりの青年だった。明るい茶色の髪をした。
 わたしの表情に警戒を見てとったのだろう。青年はわたしから少し距離を取って言う。
「怪しい者じゃありません。おれ、この町で――犬をさがしていて」
「犬?」
「そう。この町、ゆうれいになった犬がたくさんいるでしょう」
 自分と似た境遇であることに、興味を覚える。青年の顔をつぶさに観察する――緩めたほほは優しげで、目もとには穏やかさがある。わざわざこんなところまで来ただなんて、よほどの愛犬家なのだろうか。荒れた道を歩き回ったせいか、上等そうな靴は泥にまみれていた。
「その子、具合が悪いようだけど……」
 彼の視線はわたしの背後、横たわったミタカに向いている。わたしはおずおずと口を開いた。
「そうなんです、すごい熱で。町に連れていこうと思ったんだけれど、……それもできなくて」
 事情を話すことはできなかった。だってわたしにもわからないから。どうしてミタカがこの町から出られないのか。青年は訝しげな顔をしたけれど、なにも聞かなかった。それよりも、ミタカの重篤さが気にかかったのだろう、こう言う。
「医者の卵なので役に立てるかもしれません。さすがに薬は持っていないですけど」
 そのことばはたったひとりでここまで自転車を引いてきたわたしには、砂漠で見つけた水源のように思えた。できすぎているくらいだけれど、わたしは彼にすがるしかなかった。


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2014.03.29
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